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子育て主夫のシンガポール滞在記 vol.5

シンガポールの幼稚園について

シンガポールに引越してきたのが昨年12月。
2歳3歳の息子たちは、その翌月から幼稚園(※)への登園がスタートしました。

平日の週5日。朝7:40にスクールバスがお迎えに来て、17:00過ぎに送り届けてくれて、朝から夕方までを園で過ごしています。

シンガポールには日本語を主に使う日本人向けの幼稚園やインターナショナルスクールも多くありますが、我が家では色々な条件を加味した上で、最終的にローカルの園を選びました。シンガポールでは大半の人が中国語と英語をしゃべります。なので、ローカルの人を主な対象としたローカルの幼稚園では、基本的な言語として英語と中国語が使われているのです。うちの園も各クラスで担任の先生が2名いて、1人は英語担当で、もう1人は中国語担当と分けられていて、それぞれの言語で「言葉」「文化」「音楽」「創作」「運動」などの時間を過ごすことになります。ということで、うちの子どもたちがこれまで慣れ親しんてきた日本語は残念ながらこの園では通じません。先生が言っていることも、友だちが喋っていることもわからない。そんな中で毎日約8時間、週5日を過ごすことになるので、これは辛い思いをさせるなとは思いましたが、事前の見学会の際に先生から「英語も中国語も使ってこなかった子もたびたび入園するけど、子どもたちの吸収力はすごいので初めは苦労するけど半年くらいであっという間にわかるようになりますよ」と言うことで、少し安心しました。

※)正確には「プリスクール」といい、預けられる時間帯の長さやその仕組みなどが所謂幼稚園とは異なるのですが、その説明は省いているのでこの記事では「幼稚園」と表記していきますね。

送迎してくれるバスは、園が契約している外注業者。月契約で希望者だけがバス代を追加で払って利用するサービスです。これまでこの園ではスクールバスは利用されてなかったのですが、我が家2名含めて他にも希望者が一定数集まったということで利用できるようになりました。

送迎はマンションの敷地内を停留所としてバスが送り届けてくれるのでとても便利です。同乗者は運転手のおじさんと、添乗員としてお手伝いのおばさんの2名。日本では幼稚園の関係者もしくは先生が同乗しているのが一般的だと思うので、シンガポールはそうではない、というところが大きく違うところかと思います。バスは送迎だけのサービスなので、朝幼稚園に到着すると子どもたちを先生に引き継ぎ一旦業務終了。帰りの時間になったらまた園に来くるという本当に送迎だけを任されています。

と言うことで、
・日本語が通じない幼稚園
・幼稚園の先生が不在の送迎バス
3歳に長男にとってなかなかハードルが高いこの2つに対して、この先2ヶ月間、親、子、先生がどのように対応してどう乗り越えたのかを書いてみたいと思います。

そして文末には、小さな子どもが自宅以外の新たな環境をどう捉え、それに適応するにはどういう要素が必要なのかを、改めてこの経験から考察しました。

園の様子⑥

1週間目は全員の親が付き添い

登園初日からバスには僕も同乗しました。息子たち以外にも同じマンションで1人、別のマンションを経由して追加でもう1人の子どもがバスに同乗します。園からは最初の1週間は親も同乗して、2週間目からは子どもだけで乗せて欲しいということだったので、この週は全員の子どもの親が同乗してきました。

 

親の付き添いをやめる計画、我が家のみ失敗

ということで、僕無しで乗せるように促すことにしました。
次男(2歳半)はすんなりバスに乗り込み、涼しい顔して親指を咥えています。(「指、外しなさい」と先生にしょっちゅう言われてますが、いまだに外れません。)

一方で長男はというと、先週に引き続き父が同乗すると思ってたようで、息子のシートベルトを閉めた僕がそっと車を降りてバスのドアを閉めた途端に、泣き喚き始めました。それでもいづれは慣れなければいけないので、その日は無理矢理連れて行ってもらいました。

その後、先生から連絡が入ります。
「彼は座席から立ち上がる程に泣いていた。危険なので、慣れるまではもう少しの間、親がバスに同乗してきてくれないか」と。

確かにそんなすぐには慣れないと思うので、「そりゃ仕方がない」とは思い、次の日も同じ状況になったら自分も同乗しようと思いました。登園開始からはまだ1週間。先生も友だちもまだ馴染めないし、ましてや日本語も通じない。往復のバスのおばさんは幼稚園で先生に引き渡した途端に帰ってしまう。さすがにもう少し様子をみる必要はあると思いました。

さて翌朝、当然ながらできれば息子に僕なしで乗って欲しかったので、息子にはそれと伝わらないようにバスに同乗する準備は密かに整えつつ、バスの停留所へ向かいます。

ところが、昨日の一件があったからか、今後はバスにすら近づきたがらない。なんとか説得してバスに乗せシートに座らせても、シートベルトを閉めることを断固拒否。この場は早めに諦め、僕がすかさず同乗することによって、息子は少し落ち着き、一緒にバスで幼稚園に向かいました。

他の友だちはバスの前で親と別れてバスに乗り込みます。

次の日もまた次の日も、何度となく息子を1人で乗せようと試みますが、バスに父が先に乗らなければ自分は絶対に乗らない、という用心深さ。もう僕は完全に疑われています。

 

「そもそも幼稚園行きたくない」という新たな課題

1月の後半、登園開始から3週間程経った頃。父がバスに同乗するかどうか、ということではなくなってきました。僕が同乗することを明示してもなお、バスには乗りたくないと言うようになったのです。

「そもそも幼稚園に行きたくない」という新たなフェーズに突入します。
先生やクラスメートに慣れないのはおろか、言葉も通じない環境の中で、登園自体への拒否反応は十分ありえます。この年齢では自分の気持ちを言葉でうまく言い表すことができず、感情的になればただただ「やだ」と言うことしかできないわけですが、そういったことはわかります。

僕がバスに同乗し、バス車内でもいろんな形でなだめて、なんとか日々登園していました。

園の様子⑤

 

幼稚園に行きたくない理由

登園開始から1ヶ月程経ったある朝、幼稚園の入り口で園に入りたがらない息子に、その理由を尋ねました。すると「シャワーで頭を洗う時に頭からかけられるのがやなの」と言っていました。息子は水が顔に掛かるのが大の苦手で、頭を洗う時のオペレーションも結構苦労しています。少しでも目に水が入りそうになると激キレです。僕もこの年齢の子どもはこれは普通だと思っていました。そして息子に「他のお友だちもそうなの?」と聞くと、「他の友だちもシャワーを頭から掛けられてる。他の友だちは平気そう。でも僕はやだ」とハッキリ言われました。
そこで僕は、顔を拭く為のハンドタオルを毎日持たせるようにし、先生にも彼の主張を伝え、シャワーの時間にはそのハンドタオルを渡してもらうようにしました。

少しずつ幼稚園の生活に慣れてくる
その頃からは幼稚園の生活にも少しずつ慣れてきた様子が見られてきます。しかし一方で、バスにはすんなり乗るようになってきたけれど、僕無しでは絶対乗らないので、僕も同乗する毎日が続きます。

園の様子⑤

 

段階的に慣れてもらう工夫を〜日々、一進一退〜

とはいえ、息子が1人で乗ることに向かって欲しいので、いろいろ少しづつ条件を変えていこうと試みます。

 

▼第1ステップ:一緒にいく範囲を短くしていく
これは、バスが園に着いてから幼稚園の入り口まで、全ての道中に着いていっていたので、父の付き添い無しでも少しずつ行けるようになって欲しい。そして最終的には「バスから降りて園に行くくらい余裕じゃね?」と思わせるのが狙いでした。

バスには乗るけど、幼稚園の敷地にバスが着いてからは
1)今日は入り口の手前の階段までは行くよ。そこからは1人で頑張ろう
2)今日はスクールの門までは一緒に行くよ。そこからは1人で頑張ろう
3)今日はお父さんはバス降りない。バス降りるところから1人で頑張ろう

 

▼第2ステップ:バスで僕の存在感を消していく
バス車内で僕はの存在感を消し、息子にとっての僕の存在価値を徐々に薄くしていくことで、「気づいたら、バスに父、必要なくね?」と思わせるのが狙いでした。

バスには乗るけど、車内で僕の存在を消す…
1)バス車内で僕は存在を消すため、一切喋らない
2)息子から少し離れたシートに座る
3)息子から見えないシートに座る
*ある時、僕が突然バスの助手席に座ったら、運転手に「え?ここ座るの?」て顔をされました

日々、これを行ったり来たり。繰り返しでした。
基本的にどの作戦も初動は息子に拒否されるのですが、無理矢理でも実行して、その次の日にはさらにネクストステップへ以降し続けていくことで、登園に対する父の依存度を徐々に減らしていくようにできないかと思ってやっていたのですが、やっぱりスムーズには行きません。一度やってしまうと、翌日は勘繰って、同じことをやろうとすると阿鼻叫喚が始まりその場を動かなくなってしまいます。もう日々その繰り返しでした。一進一退です。

園の様子④

先生やクラスメートに慣れてきた

その頃、登園開始から1ヶ月半程経ったある日、マンション内のプレイグラウンドで同じ幼稚園のクラスメートが遊んでいるのをたまたま見かけたことを、息子が嬉しそうに報告してくれました。同じ敷地内にクラスメートが住んでいるということがわかって幼稚園に親近感が湧いたかもしれません。
また、家でも先生やクラスメートの名前を教えてくれるようになったり、幼稚園での出来事を家で少しづつ話してくれるようになりました。圧倒的に安心感のある家にも話題を持ち込める程、幼稚園が苦ではなくなってきた証拠だなと思いました。

また、あの大嫌いだったシャワー頭からぶっかけられることについても、かなり抗体ができているようで「シャワーが顔にかかってももう結構大丈夫」と教えてくれるようになってきたのです。

そして時々、幼稚園からは日々の生活の様子を納めた写真が送られてくるのですが、その表情も初めの頃はクラスメートとではなく単独で先生と写っていて無表情だったりしていたのが、だんだんと笑顔の写真が増えるようになり、クラスメートと一緒に写るシーンが増えてきていました。そういったこともあって少しづつ幼稚園に慣れてきている様子がわかってきました。

さて一方で、スクールバスについては、大きな進歩をみないまま月日は過ぎていったのです。

園の様子③

 

幼稚園の担任の先生からの提案

「幼稚園には慣れてきている様子はあるけど、このこのままいつまで1人で乗れない日が続くのだろうか…」

バスの件について一進一退を繰り返し、そんな事を考えていた2月の下旬のある日、クラスの担任である英語の先生から提案がありました。

「スクールバスに、先生も同乗してみようと思う」と。

スクールの先生が、父の代わりに朝のバスに同乗してみてくれると言うのです。そのことを息子にも説明し、息子も嬉しそうにしていましたが、僕は不安がありました。息子はもしかしたら、父の代わりに先生が乗るのではなく、父に加えて先生が同乗すると解釈しているのではないかと。僕が乗らないとわかった時点でまた阿鼻叫喚が始まるのではないかと。(いや、もう少し息子を信じろよ…って感じですが…)

園の様子②

 

手を振る息子を乗せたバス。それを初めて見送る。

先生が同乗する当日の朝、自宅から市バスに乗ってマンションまできてくれた先生と合流すると、息子はあっさりと先生に手を繋いでもらりバスに乗り込みました。そしてなんと、父の存在を求めることもなく、トアは閉まり、バスは発車したのです。その発車するバスを、僕は半分呆気に取られながら手を振って見送りました。

隣にいる妻とも顔を見合わせ「い、行ったね」と。

それでも僕はどこかで心配もしていました。先生がバスに同乗した一時的な嬉しさで泣かなかったけど、ひとたび我に帰ってバスの中で泣いているのではないかと。(どれだけ疑ってるんだ、息子を…)

出発直後に先生が送ってくれた車内での彼の写真は満面の笑顔。それを見てその心配は吹き飛びました。そしてその日は、夕方息子を目一杯褒めました。

しかし僕の心配ごとは、次の段階にありました。
「父親なしでバスに乗ることはできた。しかし今度は果たして先生がバスに乗らない日がいつ来るんだ」と。「これまでいろいろ試したけれども、なかなか僕無しでの登園は叶わなかったので、これからは毎朝先生がうちのマンションに来て息子と同乗することになることに変わらないのではないか」と。

さてこの時、次男はと言うと、少し体調を崩したこともあって、数日間スクールを休むことになりました。一方その間も長男は通常通りの登園です。

 

 

そこから1週間でまさかのネクストステップに!?

先生が同乗して5日目の金曜日に。先生から連絡が入りました。
「翌週からは、先生がバス乗り場までは行くが、そこからバスに1人で乗せてみようと思う」と。

「えーーー、早くない?さすがに無理でしょ、早すぎる。」
そう思いました。シンプルに。

先生曰く、園では息子に対して「1人で乗れるようになるように頑張ろう」と、毎日話してくれているらしいのです。そしてその上で今回は「1人で乗れたら、先生からクッキーをプレゼントする」と言った作戦らしい。息子もそれで納得している様子だとのこと。

僕は思いました。
「いやいや、先生、彼、クッキーで動くような子じゃないんです!!」(息子、信じてやれよ…)

 

作戦決行当日

作戦当日、快晴でした。
先週に引き続き、いつも通り朝バスの停留所に先生がきました。
少し早めに同流できたこともあり、息子と先生はしばし一対一で交流。

そしてバスに乗り込む息子。先生はバスの外で手を振る。
なんと、先生無しでスクールバスは走り出したのです。

ちなみに、スクールに着くと入室の前には全員のヘルスチェックが行われ、
毎朝その際の写真が送られてくるのだが、その表情でそれまでの彼の調子がみて取れます。

基本的には3パターンです。
1)笑顔
2)泣き疲れた後の無の顔
3)泣いて喚いて写真にまともに写ってない

今回は1を願いましたが、この日は3でした。
先生に抱き抱えられていて、本人は後ろを向いていて写真では表情こそ見えないのですが、車内で散々泣いたのでしょう。

彼を乗せたバスが出発するのを見送った後に急いで園に向かった先生から後でメッセージがきました。「今日彼はバスを頑張った。スクールに到着した時は泣いていたが、すぐ元気になり、楽しそうにしている。明日も続けてみよう」と。

次の日、弟も久しぶりに登園します。バスの集合場所で、先生と合流しました。ちなみに弟のお休みに合わせて僕はバスの送迎にはついていかず、妻に連れて行ってもらうことにしています。この日も妻が停留所まで連れて行きました。

息子には昨日の出来事によってもしかしたらトラウマになってるかもしれない。「先生が乗らないのなら自分も乗らない」と言い出すのではないか。これまでの一進一退の僕の経験が頭から離れません。

しかしバスのドアが閉まる時、息子の表情は少し不安そうではあったものの、先生が同乗しないことを理解している様子でした。泣いてる様子はありません。息子は1人でバスに乗って幼稚園に行きました。

ちなみにバスの出発の際に、久しぶりに一緒に登園する弟に嬉しそうに話しかけていた様子でした。弟の復帰がこのタイミングだったのもよかったかもしれないと思いました。

バスを見送ったあと、妻と先生は思わず感動を共有しました。

あとは登園時に送られてくる写真の表情がどうか…。
ばっちり自然な笑顔の写真が送られてきたのです。

ついに成功しました!ついに彼が付き添い無しでスクールに行ったのです。長きに渡って展開してきたこの園バスプロジェクト(勝手に名付ける)ですが、登園開始からまる2ヶ月をもって、ついに終焉を迎えそうです。

これまで、何度も戦術を変え、ゴールが見えそうになるもものの、鉄壁の守りの中でなかなかシュートまで持ち込むことができないでいたところに、なんとプリスクールの先生がオーバーラップしてシュートを決めた形となりました。僕はそれを観客席から見守る形となりましたがそれでもゴールに変わりありません。

その翌日にでもぶり返して「やっぱり行かない」にならないことを願いつつも、なんにしても息子がめでたく1人でバスに乗れるようになったことに感動した日でした。

園の様子①

確信に変わった日

その次の日も妻のみでバスまで送ります。しかしこの日はなんと先生が時間通りに来れず、

「今日は行けないから、園で待つ」とのメッセージが。
「ちょっと、、先生!!!」。

最悪、バスに乗ることを拒否する可能性があるなと思い、ハラハラしながら妻からの連絡を待しますが。しばらくして妻からメッセージが届きました。

先生がいないことも気にしないで、弟よりも先にバスに乗り込んだバスの中でもニコニコだったと。

「えーーーーーーーー」

これはもう安心できるレベルになったと思って良いと思いました。

 

息子が乗り越えられたワケを振り返る

2ヶ月かけて、幼稚園という社会的な場所が少しずつ信頼がおける場所へと変わっていったことは間違いないです。自宅という圧倒的な信頼のある場所は「こちら側」で、そこから信頼できるであろう幼稚園までの間には息子にとっては途方もなく距離があって「向こう側」の存在。バスはまさにそこへの掛橋になっていたはずです。

存在としての信頼感は母>父>先生の順でしょう。当初は家から父がバスに同乗することで「向こう側」に辿り着くことができ、今度は「向こう側」で信頼できるようになった先生が「こちら側」に来て同乗してくれたことで向こうに行くことができた。

圧倒的な信頼感がある「こちら側」から、信頼感ができはじめた「向こう側」のその間のバスを、どんな信頼を頼りに乗り切るかが彼の中でも課題となってたのではないだろうとか思います。

その信頼を埋めてくれたのが先生。先生と言う信頼がおけるものがバスに同乗してくれた事によって、親なしで「向こう側」へいくことができ、それが大きな自信になって、そこからはあっさりと1人で行くことの自信にまで繋がったのではないかと思いました。

幼い子が2つの場所を行き来するその中間にあるものに、親、先生が連携してどう信頼感を持たせて行くのかを考えさせられる出来事となりました。

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