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のんびり主夫のスタディ・ライフ・バランス 第8弾

 

みなさんこんにちは!

オフィシャルブロガーの岸 亜星(きし あせい)です。

東京ではオリンピックが開催され、日本がメダルラッシュに沸く中、遠く離れたシンガポールの地でもオンライン&オンタイムで応援ができる時代に生まれたことに感謝している今日この頃ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 

今回はセントーサ島にある、シロソ砦(FORT SILOSO)というところに行って参りましたので、みなさんにご紹介したいと思います。

 

シロソ砦とは、第二次世界大戦中にイギリスの植民地だったシンガポールに建てられた防御要塞で、1974年からは歴史博物館として無料で一般公開されています。

ご存知の方も多いかもしれませんが、シンガポールは1800年代からイギリスの植民地となり、第二次世界大戦中には日本軍の占領を受けた地です。

日本人として、このシンガポールの地で過去にどういうことがあったのか、知っておく必要があると思い、今回訪問させていただきました。

 

 

いざ出発!

 

休日の昼前くらいからのんびりセントーサ島に向けて出発!

公共交通機関でのセントーサ島への行き方は大まかにセントーサエクスプレスというモノレール、ケーブルカー、バスなどですが、ボードウォークという遊歩道もあり、歩いて渡ることも可能です。どの行き方でもそこまで所要時間は変わりません。今回はせっかくのいい天気だったので歩いて渡ってみました。

 

 

このセントーサボードウォークはVivo Cityのあたりからセントーサ島まで全長620mでつないでくれている遊歩道です。下の写真の通り、ところどころ歩くエスカレーターにもなっていますが、この日は省エネなのか動いておりませんでした。

 

 

だいたい10分~15分くらいの散歩を終えたあと、セントーサ島内部に生絞りオレンジジュース自動販売機を発見!

日本だとフルーツ生絞りの自動販売機は見たことがなかったので、すかさず購入いたしました。(笑) 果実のつぶつぶがところどころ残っていたりしてとてもジューシーな味わいです。皆様もぜひ街中で見つけた際には試されてみてはいかがでしょうか?

 

 

セントーサ島の中心からは無料シャトルバスがいたる方面に向けて巡回しています。シロソ砦はセントーサ島の西端に位置しているので、西へ向かうシャトルバスに搭乗。

セントーサ島の中心のカジノなどが入っている建物からバスで約10分程度でシロソ砦まで到着いたしました。

 

 

シロソ砦の入り口につくと、大きな看板がありましたが、英語と中国語の他に日本語での記載もございました。

シンガポールの公用語は英語、中国語、マレー語、タミル語なので、この土地が日本にゆかりのあるということを物語っています。

 

 

砦の外部展示

 

シロソ砦はシンガポールがイギリスによる植民地支配を受けていた時代、1880年代にイギリス軍によってシンガポール港の防御政策の一環として建設された砦です。

当時のシンガポールはゴムやスズ、戦略物資などの貿易の拠点として非常に重要な役割を担っていたので、他国からの侵略に備えなければならなかったのですね。

このシロソ砦はシンガポールで唯一現存する沿岸要塞で、セントーサ島最古の軍事建造物だそうです。

 

砦を少し登っていくと、高台のようになっているところがあり、そこにいくつもの大砲が立ち並んでおりました。

 

 

大砲とともにこのシロソ砦がどのように使われていたのかや大砲の説明の掲示板がありました。

当時としては7インチ砲が最新式として搭載されていたとのことです。1インチは2.54cmなので7インチは17.78cm。直径18cm近くの砲弾を遠く離れた海の先へ狙いを定めて放つ装置ということになりますが、その発明が19世紀から為されていたという事に驚きを覚えたのと同時に、そうした優れた発明が人を傷つけることを目的に使用された歴史に悲しみを感じました。

 

 

 

最西端まで歩いてゆくと、砲撃指揮塔(Battery Command Point)の展示があり、蝋人形を使用して当時の様子を再現していました。

写真では前方に多くの木々が生い茂っていますが、隙間から海が覗いており、確かに木々がなければシンガポールに迫る船舶を一望できそうな場所でした。

この壁にかかっている2月14日という日付は1942年2月14日のことで、シンガポールが日本軍に降伏をした1942年2月15日の一日前です。

 

 

 

大砲の下のエリアには塹壕のように地下のスペースが掘ってあり、中に入ると下から砲弾を簡易エレベーターで持ち上げる施設の模型展示がありました。

当時弾薬の補充がどのようになされていたかをまざまざと描いています。

 

 

 

砦の内部展示

 

シロソ砦には屋外の大砲などの展示のほかにも、簡単な博物館のような建物もいくつか存在し、数々の展示を見ることができます。

セントーサ島はもともとブラカンマティと呼ばれていたそうです。死者のかなたの島という意味だそうで、これは1830年に大流行したマラリアで多くの方がなくなったことに由来するそうです。

 

 

下の写真は1942年2月15日、シンガポールのフォード自動車組み立て工場にて執り行われた降伏交渉の現場を再現したものです。

左側で左手を握って胸に当てているのが大日本帝国陸軍の第25軍司令官の山下奉文(ともゆき)中将。「マレーの虎」の異名を持ち、マレー半島攻略、シンガポール攻略作戦の総責任者です。右側で書類を書いている人物がイギリス軍の司令官アーサー・パーシヴァル中将です。

 

 

下の写真は日本が1945年9月12日、第二次世界大戦の敗戦後にシンガポールで行われた降伏調印式の様子を蝋人形で再現したものです。日本側の将軍について、どのような役割を担っていてどういう人物だったのかが詳細に説明されていますが、お恥ずかしながら私は上記の山下将軍以外一人も存じ上げませんでした。

 

 

 

その他にも第二次世界大戦中にシンガポールでどのようなことがあったのかが色々と展示されております。

正直、日本の教育では習わない内容ばかりでした。それは日本がシンガポールで行ってきた仕打ちが残虐なものだからかと思います。

今回のシロソ砦の訪問で、私の中で非常に問題意識として強く湧き上がってきたのは、戦争という内容についての無知さです。

織田信長や豊臣秀吉など、かなた昔の武将の名前は誰でも知っているのに、日本がつい70年前に実際に行っていた戦争でどんなことがあったのか、誰が指揮をとっていたのか、(少なくとも私は)あまりにも知りません。

日本が被害を受けた都市、日本が降伏した日は良く知っていますが、日本が被害を与えた都市、日本が降伏させた国、降伏させた日付はほとんど知りません。

戦争の捉え方は皆様様々で色々な考え方があると思いますので、あまり強く何かを主張するつもりはありませんが、少なくとも私は、今後自分がなるべくバイアスを取り除いて公平な視点で色々な話ができるよう、こうした日本の教育で習わない内容についても積極的に学んでいく必要があると感じました。

海外に住んでいることで、こうした場所を訪れることができる経験に心から感謝したいと思います。

 

 

 

今日のオトコメシ

 

さて、久しぶりのオトコメシのコーナーです!!

本日ご紹介するのは、オーブントースターでできるカレーグラタンです。

 

 

いつものオトコメシより少し工程が多いですが、大きく分けて、①ひき肉の下処理、②グラタンのもと作り、③オーブントースターで仕上げ!の3パートです。

分量は2人分になっております。(写真は1人分)

まず、①ひき肉の下処理パートです。ひき肉80gをガラスなどの耐熱ボウルに入れて、カレールウ10g、水80cc、ケチャップとウスターソースを小さじ1程度ずつ入れて電子レンジで4~5分加熱します。これだけでひき肉が熱処理され、茶色っぽくなります。

一方で②グラタンのもと作りパートは、玉ねぎを1/4個薄切りにして、フライパンでバターを使用して弱火で炒めます。炒まったら小麦粉大さじ2を振りかけて牛乳を2カップを少しずつ加えながら混ぜます。マカロニ60gを加えてとろみがつくまで混ぜて、塩コショウで味を整えます。

そして最後に③オーブントースターで仕上げ!パート。

②のグラタンのもとを耐熱容器2個にそれぞれ等量注ぎ、①のひき肉も等分して入れて、その上から卵をお好きな個数割入れ(1,2個)、チーズをのせてオーブントースター(1000W)で6~7分チンすれば完成です。

写真のようなキャンプ風の容器で作れば自宅にいながらキャンプに来たような感覚を味わえます(笑)

少しいつもより手間暇かかっていますが、是非お試しください!

 

ということで、第8弾はこの辺で失礼しようと思います。

皆様今後ともよろしくおねがいいたします。

 

 

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