学校の入り口で足が止まってしまった娘に対し、先生がかけた意外な言葉。行き渋りに対するその先生の対応は、日本の教育環境で育った私にとって、固定概念を覆されるような経験でした。先生の対応の違いを、「個人の資質」としてではなく、「学校方針の差」として捉え直したとき、親子で前を向くための、新しい学校との距離感が見えてきました。
行き渋りで娘が立ち止まったとき インターナショナルスクールの先生はどう対応したか

日本の公立小学校からシンガポールのインター校へ。慣れない環境、何を言っているのかわからないクラスメイトや先生……。入学当初、娘は戸惑いの連続でした。毎朝、私も一緒に登校していましたが、校門の前で足が止まってしまう娘を前に、私の心は「無理をさせたくない」という思いと「ここで踏ん張らせないと」という不安の間で、常に揺れ動いていました。
ある朝、学校に着いたものの、どうしても一歩が踏み出せない娘のもとにクラス担任がやってきました。娘の顔には「無理やり教室に連れて行かれる」という強い不安の色が滲みます。しかし、そこで先生が取った行動は意外なものでした。
先生は娘の隣にただ座り、こう声をかけたのです。
「あなたはすでに、とてもよくやっているわ。大人だって大変なことを、この新しい環境で頑張っている。すごいことなのよ」
てっきり教室へ行くことを促されると思っていた私は驚きました。先生はただ娘のありのままを認め、安心の場所を作ってくれたのです。
行き渋りへの対応が違う理由|日本と海外のスタンスの違い
かつて娘が日本の学校で行き渋った際、先生は非常に熱心に、何とか登校できるようにと家庭訪問や電話で優しく声掛けをしてくださいました。それと比較すると、インターの先生の「ただ待つ」という対応は、放任のように見えるかもしれません。
しかし、これは先生個人の性格の違いというより、教育システムが担う「役割」の違いから生まれるものです。 日本の公教育には、集団教育を通じて社会性を育むという大切な使命があります。また「不登校」が社会問題化する中で、先生方ご自身がプレッシャーを感じることもあるのかもしれません。生徒の将来を案じ、何とかレールに戻してあげたいという切実な気持ちも感じました。
一方、私立であるインター校の多くは、教育課程に高い柔軟性を持っています。そこには「集団の維持」よりも優先される、別の明確な評価基準が存在していました。
娘のインター校が行き渋りへの対応で大切にしている考え方

娘の通う学校が最優先に置いていたのは、生徒の心身の健康でした。多国籍な生徒が集まるインター校では、文化や言語の壁があるのは当たり前。だからこそ、「安心感がない場所では、学びは始まらない」という哲学が徹底されています。
無理に教室へ引っ張るのではなく、まずは本人が「ここは安全な場所だ」と信頼できるまで待つ。事実、娘はこの先生を深く信頼し、安心という土台を得てから、驚くほど学校生活に馴染んでいきました。安心や信頼の上にこそ学びが積み上がる、という学校のスタンスを目の当たりにした瞬間でした。
行き渋りかも?その時に親が知っておきたい「学校との向き合い方」

子どもの行き渋りに直面したとき、親は学校の対応に反発感を抱いたり、不安になったりするものです。
「なぜ学校は無理に来させようとするの?」
「先生から積極的な連絡がない…見放されてしまったの?」
しかし、先生の言葉の背景にある学校の姿勢を理解すると、そのモヤモヤは少しずつ晴れていきます。
「子供の将来を心配してくれているからこその声かけなんだな」「この先生の言葉は、まずは心の安心を優先してのことだな」と客観的に捉えられるようになると、学校の対応に一喜一憂しすぎず、親として「今、自分がわが子に持つべき視点は何か」を冷静に選べるようになります。
学校の価値観と同調するのか、あえて違う距離を保つのか。それを自分で選んでいいのだと知るだけで、親の心には確かな余白が生まれます。その余白こそが、学校の入り口で立ち止まる子どもを、優しく見守る力になるのではないでしょうか。
この記事を書いた人
清水泰子(しみずやすこ)
シンガポール在住、3児の母。不登校の後、オーストラリア高校留学。大手日系・外資系企業を経て、現在はインターナショナル校勤務。









